死産

わたしが常位胎盤早期剥離で第一子を死産した話【体験談】

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わたしは2011年に初めての妊娠で死産を経験しています。

妊娠27週5日。妊娠8ヶ月まであと2日の出来事でした。

死産後入院中、また退院して家に帰ってきてからも、幾度となく
「死産 ○○」
「死産 ○○○」
とインターネットで検索しまくりました。

解決策を求めていたわけではなかったと思います。

そもそも解決策なんてないですしね。

ただ「こんなひどい目にあったのは自分だけじゃないはずだ」ということを確認したかったのかもしれません。

そんな7年前のわたしのような人のために、自分の死産体験談をいつか記事にしたいとずっと考えていました。

▼ 死産した人へかける言葉についてはこちらの記事をご覧ください。

お腹の違和感に気付き病院へ

死産する前日、夕方ごろからなんとなくお腹に違和感が。
わたしは「便秘でお腹が張っているのかな~」と思い、とりあえず排便するもあまり改善した感じはなく、“痛くはないけれどなんとなく違和感がある”という状態が夜になっても続いていました。
そういえば胎動もあまり感じない…というか、昼寝の時にいつもより激しい胎動を感じて以来動いていない?!
不安になり妊婦健診でかかっていた総合病院へ電話すると、「とりあえず今から一度病院へ来てください」とのこと。
21時ごろタクシーで1時間ほどかかる病院へ向かいました。

赤ちゃんはすでに亡くなっていた

病院のロビーに到着するとすぐに看護師さんが迎えに来てくれ、車椅子に乗せられて産科病棟へ。
エコー検査ですでに赤ちゃんがお腹の中で亡くなっていることを知らされました。
原因は常位胎盤早期剥離。出産前に胎盤が剥がれてしまったため、赤ちゃんは亡くなってしまったとのこと。
その亡くなっている赤ちゃんを体内から取り出すために、促進剤で強制的に陣痛を起こして通常分娩すると説明されました。
わたしは「赤ちゃんが亡くなっているのに死ぬほど痛いといわれる陣痛に耐えなければならないとかなんの罰だ」と思い、「帝王切開で取り出してもらうことはできないのか」とたずねました。
すると先生は「胎盤が剥がれたせいで大量出血していて、それを止めるために体内の血液凝固因子が子宮に集結するせいで、子宮以外の部分の血が止まらないDICという状態になっているので帝王切開はできない」と。
なんだかよくわからないけれど、とにかく陣痛を起こして産むしかないらしい…と当時は思ったのですが、後日調べてみたら“産科DIC”といって胎児だけでなく母親が亡くなるケースもある重篤な状態だとか。

胎盤剥離のせいなのか促進剤のせいなのかわからない痛みのせいで、このあたりのわたしの記憶は若干あやふやなのですが、壁掛け時計に目をやると夜中の2時で、少しウトウトし次に時計を確認したら2時5分だったので、「あれから5分しか経ってないのか」と絶望したことをよく覚えています。
わたしの人生の中でいちばん長い夜でした。

出産

長い長い夜を越えて、ようやく通常分娩で出産。母子手帳を見てあとから知ったのですが、病院に到着してから14時間も経っていたようです。
800グラム/30センチほどの小さな女の子。口元がダンナとそっくりでした。

赤ちゃんを見た最初の感想は、7ヶ月の間一緒に過ごした赤ちゃんと「やっと会えた」。
もちろん泣かないし動かないんですけどね。

産後の入院生活

その後わたしは産科病棟のいちばんはしっこの部屋に3週間入院しました。

死産の場合、亡くなってから7日以内に死産届を役所へ提出し火葬をしなければならないのですが、ありがたいことにわたしがお世話になった病院では7日ギリギリまで赤ちゃんを預かってくれました。

入院中毎日助産師さんたちが「赤ちゃんお部屋に連れてきましょうか?」と声をかけてくれたのですが、「いえ、いいです。」とわたしは断り続けました。
初めて「はい」と言えたのは火葬の前日。現実を受け入れられなかったのでしょうかね。自分でもよくわかりません。

産まれてから6日目、わたしのベッドの横に赤ちゃんを並べて一緒に昼寝をしました。
助産師さんからすすめられて赤ちゃんに名前を付けました。
助産師さんたちが手形や足形もとってくれていて、画用紙に貼ってかわいらしくして私に渡してくれました。

火葬

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いよいよ火葬の日。
病院が赤ちゃん用の小さな棺を用意してくれたので、赤ちゃんに新品のベビー服を着せてまわりを花で飾りました。
わたしはまだ身体のあちこちに管を付けた車椅子生活の病人だったので外出などもってのほか。花とベビー服はわたしの妹が代理で買ってきてくれました。
ダンナに家から探して持ってきてもらったわたしたち夫婦の結婚式の写真も棺に入れました。パパとママのお顔がわかるように。あと家にあったいちばん小さいしろたんのぬいぐるみも一緒に。
助産師さんが「小さいから骨は残らないかもしれない」と言って髪の毛を切らせてくれました。小さいけれど幸い髪の毛はフサフサでしたので。
赤ちゃんの写真も撮っていいと言われましたが、わたしは最後まで1枚も撮影しませんでした。

わたしは上記のとおり外出できませんので火葬場にも同行できず、ダンナが病院からひとりで小さな棺を持って火葬へ行くことに。
助産師さんと先生に付き添われて病院の出入り口まで車椅子で見送りに行きました。タクシーに乗り込むダンナの後ろ姿は、今でも同じ場所を見るたびに思い出します。

数時間後病室に戻ってきたダンナから、「骨、残らなかった」と告げられた時がわたしはいちばん泣きました。

退院してから

家に帰ってきてからも夜寝る時に毎晩泣いていたように思います。
死産経験者の集いやSNSなどもあることは知っていましたが、わたしは一切利用しませんでした。
書籍の類も一冊も読まなかったです。

お骨はないけれど、1年後にへその緒と髪の毛を一緒にお墓に入れ、納骨の代わりとしました。

さいごに

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書きながら途中何度も涙があふれてきましたが、なるべく事実だけを淡々とまとめるようにしました。
死産を体験して、今「なんで自分だけこんな目に」と辛い思いをしている方の目にとまりますように。

また落ちついたら、死産後の生活についての記事も書きたいと思っています。