ねぎのあしあと

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妊娠27週、常位胎盤早期剥離で死産した話【体験談】

f:id:negyyyyyyy:20180921125928j:plain 私は2011年に初めての妊娠で死産を経験しています。
妊娠27週5日。妊娠8ヶ月まであと2日の出来事でした。

死産後入院中、また退院して家に帰ってきてからも、幾度となく死産絡みの言葉をインターネットで検索しまくりました。
解決策を求めていたわけではなかったと思います。そもそも解決策なんてないですしね。
ただ「こんなひどい目にあったのは私だけじゃないはずだ」ということを確認したかったのかもしれません。

そんな7年前の私のような人のために、自分の死産体験談をいつか記事にしたいとずっと考えていました。

※※死産した人へかける言葉についてはこちらをご覧ください。※※

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お腹の違和感に気付き病院へ

死産する前日、夕方ごろからなんとなくお腹に違和感が。
私は「便秘でお腹が張っているのかな~」と思い、とりあえず排便するもあまり改善した感じはなく、“痛くはないけれどなんとなく違和感がある”という状態が夜になっても続いていました。
そういえば胎動もあまり感じない…というか、昼寝の時にいつもより激しい胎動を感じて以来動いていない?!
不安になり妊婦健診でかかっていた総合病院へ電話すると、「とりあえず今から一度病院へ来てください」とのこと。
21時ごろタクシーで1時間ほどかかる病院へ向かいました。

赤ちゃんはすでに亡くなっていた

病院のロビーに到着するとすぐに看護師さんが迎えに来てくれ、車椅子に乗せられて産科病棟へ。
エコー検査ですでに赤ちゃんがお腹の中で亡くなっていることを知らされました。
原因は常位胎盤早期剥離。出産前に胎盤が剥がれてしまったため、赤ちゃんは亡くなってしまったとのこと。
その亡くなっている赤ちゃんを体内から取り出すために、促進剤で強制的に陣痛を起こして通常分娩すると説明されました。
私は「赤ちゃんが亡くなっているのに死ぬほど痛いといわれる陣痛に耐えなければならないとかなんの罰だ」と思い、「帝王切開で取り出してもらうことはできないのか」とたずねました。
すると先生は「胎盤が剥がれたせいで大量出血していて、それを止めるために体内の血液凝固因子が子宮に集結するせいで、子宮以外の部分の血が止まらないDICという状態になっているので帝王切開はできない」と。
なんだかよくわからないけれど、とにかく陣痛を起こして産むしかないらしい…と当時は思ったのですが、後日調べてみたら“産科DIC”といって胎児だけでなく母親が亡くなるケースもある重篤な状態だとか。

胎盤剥離のせいなのか促進剤のせいなのかわからない痛みのせいで、このあたりの私の記憶は若干あやふやなのですが、壁掛け時計に目をやると夜中の2時で、少しウトウトし次に時計を確認したら2時5分だったので、「あれから5分しか経ってないのか」と絶望したことをよく覚えています。
私の人生の中でいちばん長い夜でした。

出産

長い長い夜を越えて、ようやく通常分娩で出産。母子手帳を見てあとから知ったのですが、病院に到着してから14時間も経っていたようです。
800グラム/30センチほどの小さな女の子。口元がダンナとそっくりでした。

赤ちゃんを見た最初の感想は、7ヶ月の間一緒に過ごした赤ちゃんと「やっと会えた」。
もちろん泣かないし動かないんですけどね。

産後の入院生活

その後私は産科病棟のいちばん端っこの部屋に3週間入院しました。

死産したあとは火葬をして死産届を亡くなってから7日以内に役所へ提出しなければならないのですが、ありがたいことにこの病院では7日ギリギリまで私の赤ちゃんを預かってくれました。

入院中毎日助産師さんたちが「赤ちゃんお部屋に連れてきましょうか?」と声をかけてくれたけれど、「会いたい」と言えたのは火葬の前日。現実を受け入れられなかったのでしょうかね。自分でもよくわかりません。

産まれてから6日目、私のベッドの横に赤ちゃんを並べて一緒に昼寝をしました。
助産師さんからすすめられて赤ちゃんに名前を付けました。
助産師さんたちが手形や足形もとってくれていて、画用紙に貼ってかわいらしくして私に渡してくれました。

火葬

f:id:negyyyyyyy:20180921130149j:plain いよいよ火葬の日。
病院が赤ちゃん用の小さな棺を用意してくれたので、赤ちゃんに用意したベビー服を着せて花で飾りました。
私はまだ管をいっぱい付けた車椅子生活で外出などもってのほかだったので、花とベビー服は私の妹が購入。妹も泣きながら棺を飾るのをお手伝いしてくれました。
ダンナに家から探して持ってきてもらった結婚式の写真も棺に入れました。父と母のお顔が分かるように。あと家にあったいちばん小さいしろたんのぬいぐるみも一緒に。
助産師さんが「小さいから骨は残らないかもしれない」と言って髪の毛を切らせてくれました。小さいけれど幸い髪の毛はフサフサでしたので。
赤ちゃんの写真も撮っていいと言われましたが、私は最後まで1枚も撮影しませんでした。

私は上記のとおり外出できませんので火葬場にも同行できず、ダンナが病院からひとりで小さな棺を持って火葬場へ行くことに。
助産師さんと先生に付き添われて病院の出入り口まで車椅子で見送りに行きました。タクシーに乗り込むダンナの後ろ姿は、今でも同じ場所を見るたびに思い出します。

数時間後私の病室に戻ってきたダンナから、「骨、残らなかった」と告げられた時が私はいちばん泣きました。

退院してから

家に帰ってきてからも夜寝る時に毎晩泣いていたように思います。
死産経験者の集いやSNSなどもあることは知っていましたが、私は一切利用しませんでした。
書籍の類も一冊も読まなかったです。

お骨はないけれど、1年後にへその緒と髪の毛を一緒にお墓に入れ、納骨の代わりとしました。

さいごに

f:id:negyyyyyyy:20180921130017j:plain 書きながら途中何度も涙があふれてきましたが、なるべく事実だけを淡々とまとめるようにしました。
死産を体験して、今「なんで私だけこんな目に」と辛い思いをしている方の目にとまりますように。